子育ての風景(二)
林 武
一〇ヶ月になるとだんだん自らの意思が出てきました。おしめを替えるのもイヤ。おしめ交換の抵抗にあうとなかなか手こずります。あれは嫌い、食べたくない。かつて口に入れれば、素直に食べていたのが、そうはいかなくなりました。食事の時は、食器、箸などを駆使して食卓をめちゃめちゃにされます。あれがほしい、あそこに行きたいと「リロリロリロ」。要求や自己の主張が出てくると、育児も新たな困難を迎えました。この時に、これ幸いと育児休業が切れて、保育園に入るというタイミングの良さは、やはり三人目の親の手慣れたものです。保育園ではさぞかし大変ではないでしょうか。申し訳ございません。
これは、あやされたりほほえみかけたりの面での主人公から、ついに生活の主人公となりはじめた特徴です。徐々に生活の体験を広げて、少しずつなれてくると思います。つかまり立ちも達者になり、直立歩行の準備がはじまったようです。
この一方では、次男は学童期と幼児期の狭間で揺れ動く状況です。三男を抱っこして面倒を見ようと思うのですが、三男はイヤでぐずります。次男はますます必死で振り回しながらの抱っことなり、親に叱られる始末です。かわいがって喜ばせて上げようとする学童期と、それがガムシャラにしか出せない幼児期が混在しています。頑張るけれども成果の少ないかわいそうな面をどうしたらいいものかと親も考えてしまいます。叱っては、こうすればいいといっても、その方法を行動の際に考慮するほど大人にはなっていません。小学校三年の長男は、上手に散歩や子守ができるようになっています。
三男、一才。まだ歩くことよりも、親を自在に操り行動の自由を楽しんでいます。つかまり立ちは立派ですから、立つことが近いのでしょうが。しかし、いまの一番の困難は、妻が仕事に復帰したことです。「一才」の感動よりも、忙しい我が家をどう切り回すかです。「看護婦の親父がんばる」の漫画に、「この世にあわて急ぐもの二つありき、消防署の火事(まだ消防車は来ないかと消防士が叫ぶばかばかしい絵)と共働きの朝。」と述べているが、まさに同感です。時間がなくなり、洗濯物を干さずに出勤されれば、自分がしかたなく干さなくてはなりません。近所には主婦が多いので、それなりの勇気がいります。あきらめてしまえば良いのですが、男の沽券にかかわります(これは問題発言か?)。ついでに言わせてもらえば、最も忙しい出勤の直前になると、妻は鏡の前で化粧なるものをはじめます。欠かさずそのときになるとはじめるのには、閉口ものです。そんなに大事なものなら、早起きしてじっくりやればよいと思うのですが、直前にやるのがこつなのでしょうか。お陰で私は、頭の外に手が回らずボサボサです。
夕方は夕方で、忙しいのです。ある晩は、長男が洗濯物たたみ、妻が夕食したく、私は子守をやっているのに、次男がブラブラと退屈そうにしているので、ついきつく叱ってしまいました。みんなが一生懸命に仕事をしているのに何を考えているのか。子どもの権利条約による糾弾第一号になるのは、きっと私ではないでしょう。しかし、母親が子守に、家事に、食事の支度をすべてまかない、父や子どもがボーっとテレビでも見ているので、良いはずがありません。家の仕事を子どもに押しつける気はありませんが、一生懸命にやっている姿が目に入らない、目に入っても何とも思わない人間なってほしくはありません。ただ、それだけのことを分かってもらうのに、子どもを叱るのも情けない気もして自己嫌悪を感じてしまいます。こんな泥だらけになりながら、人間が育っていくものなのでしょうか。私にもよく分かりません。
今年の初冬は、またもや全員で風邪を引いてしまいました。健康を前提として、共働きは成立しています。仕事がら休むわけに行かないことが、多すぎるだけでなく、今回は育児休業の前後で年休を使っていたために、何と!妻の年休がなくなるという重大事態に見舞われてしまいました。三人の子どもが手を変え、品を変えてそれぞれ二回も風邪を引いてくれるとあっと言う間に年休は消えてしまいます。休むに休めなくなると、どうしても私が年休を取るしかなくなります。しかし、どうにもならないこともあります。今回も鍋谷さんのおばあちゃんに半日見ていただきました。「地獄で仏」とはこのようなことを言うのだと、身にしみて感じます。
「働くおかあさんを応援します、子育てを支援します」とは言っても、健康で順調なときだけです。病気のように一番困ったときにも、本当は助けてもらえるような福祉がほしいとつくづく思うのです。病児保育に取り組む保育園も東京にはありますが、巻町にもほしいと思いませんか。
三男、一才三ヶ月ようやく立ちました。どうもすべて二ヶ月から三ヶ月遅れです。保母さんの話では「歩いておもちゃを取りに行っても、お友達と競争になるとハイハイで加速する」らしいところを見るとなかなか面白いやつです。オッパイはまだまだ離れそうにありません。どうも「心の杖」になったようです。気分の転換、立ち直りのための道具になっています。ちょっと困り者です。
暮れに帰省しましたが、環境が変わったためにほとんど食事をとらなくなってしまいました。よく生きていると思うくらいです。
今年の二月は大雪に見舞われましたが、それとは関係なく子どもたちは成長を続けています。昭和六十年前後の大雪で、通勤手段がなく小千谷に入院している妻、新潟への通勤、長岡の家の雪下ろしで悟った結論は「どんなに降っても春になると解けるのが雪の運命」ということでした。雪はほっておくこと、必要以上にいじっても徒労に終わることを痛感しました。雪をあまり邪魔者にするのは、車社会にどっぷりといかに浸かっているかを表しているとも言えるのではないでしょうか。
一歳半を過ぎてますます子育てが大変。言葉も二語が出てくるようになりました。二歳に向かっているのがよくわかります。イメージを自分の中でもてるようになってくることと、言葉も強くなってきます。自分の意志が実にはっきりしているのもあって、自分の意志が通らないと大暴れです。これを乗り切るのにも周りの励ましが必要ですが、三人目になるとその辺が弱くなっていることにも気が付き、反省させられます。
【三男】分類学の学名は「ダダコネ科、チビ目、クロヅラクチヘラズ」。特徴は、外を好むために、「おんも、おんも」、「わんわん」、「あっちあっち」と鳴く。家の中でばかり飼っていると、ストレスによりパニックを起こす。好物は大福、機嫌を直すには大福が一番。ケーキも食する。気に入らないことがあると、攻撃するので注意。
とにもかくにも、子育ての苦労の峠はまだまだか。四月末には、水疱瘡、風邪、下痢と続いてしまいました。天気もゴールデンウィーク後半から優れず、外で遊べないので、困ってしまいます。お互いの仕事もますます忙しくなってきました。加えて、住民投票、親子劇場などなど。周りを見渡す余裕が、この時こそ必要なのでしょう。
一才一〇ヶ月
とにかく「いやだ、いやだ」の連発です。好きと嫌いが明確な態度には、親も参ってしまいます。いわゆる「だまし」、新潟では「たらかす」と言うのでしょうか、これが全く効き目がありません。そんなことをしようものなら、火に油を注ぐ結果になります。上の二人にはなかった新しいタイプです。一ヶ月前は、「いやだ、いやだ」に困りましたが、大分よくなってきました。こちらも慣れてくるのです。
一方では、いろいろな話もできるし、言葉をまねすることも積極的です。そのためか理解も進み、徐々に意思疎通もスムーズになってきました。ワンステップ上がるごとにたいへんさが生じ、それをまたクリアーすると新しい発達があります。いまは、言葉の習得の最も大切なときのようです。
夜あれほど、寝なかったのがずいぶんしっかり眠るようにもなってきました。後、半年くらいで大分楽になるかなとも思います。一番かわいい盛りに近付いています。